代表ライ・シャラドについて
ぼくが故郷に学校をつくったわけ
ナマステ。NPO法人YouMe Nepal(ユメ ネパール)代表のライ・シャラドです。ぼくは今、日本で暮らし日本の会社で働きましたが、ネパールで生まれ、ネパールで育ちました。
日本の皆さんにはあまりなじみがないかもしれませんが、ネパールは世界最高のエベレスト山やブッダ生誕の地ルンビニなど世界に誇れる場所がたくさんあり、大自然に囲まれたとてもいい国です。
はじめに、ぼくがなぜYouMe Nepalを始めたかを少しだけお話させてください。
ぼくの生まれたコタン郡のドルシム村は、ネパールでもとても田舎にあります。毎日一時間半かけて水を汲みに行っていたような場所です。本当になにもない場所なので、ぼくはよく水牛の上にのって口笛の練習をしていました。付近にはベンガルトラも出没していたので、うかつには森の中にはいれませんでした。
自然は素晴らしかったけど、村の暮らしは豊かではなく、きちんとした教育を受けられる環境ではありませんでした。先生が学校を欠席をすることは当たり前。授業といえば教科書を音読するくらいで、それ以上の教育は受けられませんでした。
そんな状況の中、コタン郡で、ぼく一人にだけ奇跡がおきました。
小学校4年生のときにネパール全国から毎年99人だけ選ばれる特待生に選出され、国のお金で首都カトマンズのきちんとした教育を受けられることになったのです。
そのおかげで高校卒業後は奨学金で日本の大学に留学ができ、日本で就職し働きました。
でも、ぼくの故郷の同級生のほとんどは高校を卒業していません。みんな肉体労働者として国外に出稼ぎに出ています。
なぜなのでしょうか?
それはきちんとした教育を受けてきていないからです。
実はぼく自身も日本の教育現場を見てから、初めてネパールの教育が全く足りていないことに気がつきました。
「毎日ちゃんと同じ時間に始まって、ちゃんと挨拶して、ちゃんとどの学校も同じ質の教育を受けている。」
日本で暮らす皆さんにとってはそんな事は当たり前だと思うかもしれませんが、ネパールでは学校の先生のことを見るしくみが全く機能していないのです。1時間半かけて行った学校に先生が来なくて、そのまま帰ったこともあります。半年間以上、校長先生と連絡がとれない学校もありました。
ネパールでは、これが当たり前のことになってしまっているので誰も疑問を持たないのです。
でも、全く良い教育がないわけではありません。私立学校の割合は全体の20%で、ちゃんと質の高い教育が受けられます。でも、そこに行けるのは裕福な家庭の子ども達だけです。残された80%の公立学校の子ども達は質の良い教育を受けられません。その原因は多くの公立学校に優秀な先生達がいないし、集まらないからです。
そのため、多くの若者が高校を卒業しないまま中東やマレーシアなどの外国に出稼ぎに行くしかないのです。
毎日1,500人もの出稼ぎ労働者が、こうしてネパールを後にしています。
しかも、彼らは十分な教育も訓練もされないままに過酷で危険な労働につき、毎日4,5人もの人が出稼ぎ先で命を落とし、カトマンズの空港に遺体が戻ってきています。
ぼくは大学を卒業する頃に、これが「現代の奴隷制度」とまで言われている事実を知りました。
「このままでは故郷の同級生の子ども達も、きっと同じ将来になってしまう」
だから、その頃のぼくには、お金も経験も何もありませんでしたが「何かやらなきゃ」という思いで、いてもたってもいられず友達と手作りの校舎を作り始めました。
出来上がったのはトタン屋根のボロボロの校舎でしたが、あなた(you)と私(me)の夢の学校という思いを託しYouMe School(ユメ スクール)と名付けました。
故郷の希望の星になった夢の学校
集まった生徒は8人、先生は1人からのスタートでした。
最初はとても大変でした。村の一部の人達からは「馬鹿じゃないのか」と笑われたりもしていました。
それでもきちんとした教育を受けてもらいたいと続けていたら、糸井重里さん始めどんどんと支援してくれる方が増えていき、多くの保護者からの理解も得ることができてきました。
そして校舎を大きくし、より多くの子ども達を受け入れることができるようになりました。
「学ぶということは真似るということから始まる」
ぼくは、日本のいいところをたくさん真似しました。時間を守ること、約束を守ること、自分達のことは自分達でやること(掃除など)といったルールは生徒はもちろん先生達にも徹底しました。
ネパールで初となる健康診断や、日本の給食の文化も真似しました。
日本の幼稚園の子ども達がみんな黄色いおそろいの帽子を被っていた姿が可愛いくて、YouMe Schoolのみんなにも帽子を配りました。今では赤い帽子がYouMe Schoolの生徒の証となっています。
カーストフリーのこの学校には、子ども達みんなが赤い帽子の「YouMe Schoolファミリー」として健康に勉強しています。
彼らはみんな笑顔を絶やさず、YouMe Schoolが大好きで毎日楽しく学校に通っているのです。
さらには周辺の子ども達までが「YouMe Schoolに通いたい!」と言ってくれるようになっていきました。この学校には片道2、3時間かけて通学している子どももいます。
そうして、たった8人の子ども達から始まった夢は、今では230人の子ども達へと広がりました。
ぼくだけが、きちんと教育を受けられたことはもう過去の話になりました。故郷の多くの子ども達は、今は国に選ばれなくてもきちんとした教育を受けられるようになったのです。
YouMe Schoolの子ども達は夢を持つようになり、YouMe Schoolは、ぼくの故郷の希望の星になりました。